ひでシスのめもちょ

今度は箱根登山鉄道に乗ってみたいと思っています

経済学におけるアクターの内部構造とその市場に対する影響の概観

古典派は多数の競争者による自由市場を想定したんだけど、これはあんましうまくないよ、ってことが指摘された。例えば、ケインズは 生産者って多数の企業じゃなくて、内部経済によって結びついた少数の大きな企業だよね って。フェミニズムは 家計って、結局のところ家族が最小単位やん と。

 

ケインズが分析したのは、生産者としての企業の巨大化による市場への影響

貨幣愛に基づき、人々を貨幣愛に駆り立てる資本主義は不愉快だけど、効率的な資源配分のためにはある程度は仕方ないよね。まあ、最近は企業も巨大化してきて公共性とかを持ってるかも監視されるようになってきたし、いい傾向だと思うよ。と。僕はちょっとそれは楽観的すぎと思うが

フェミニズムは、消費者としての近代家族は資本主義の産物で、その内部構造によって性役割が再生産されてるよ、って事をいった。

近代社会は家族を単位として成り立っていて、そうした状況下では自己主張や違いの確認などは単位を崩壊させる危険な行為だとして抑圧されてきたとか何とか。

 

市場におけるアクターは、政府と企業と家計。

政府の内部構造は政治学あたり? 企業はマネジメント論とか? 家計はフェミニズムが分析した。

それぞれの市場に対する影響は、政府は公共経済学、企業はケインズ、家計は誰かしてるのかしら、が分析してるっぽい。(ここでのケインズケインズ経済学のことではない)

 

消費の最小単位が個人ではなくて家族であることが市場に影響を与えてるよ。って論を書いた人って居るのかしら