ひでシスのめもちょ

今度は箱根登山鉄道に乗ってみたいと思っています

動物園とストリップとセックスできる猫

今週末に上野動物園に動物を見に行って、それからストリップ劇場に人間を見に行った。その話。

https://twitter.com/hidesys/status/916472579895857152

 

友達が関西から来ていたので一緒に遊びに行った。

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上野動物園は東京都が補助金を出しているみたいで、入園料が600円と非常に安い(ただ、天王寺動物園は500円だけど)。年間パスは2400円だ(天王寺動物園なら2000円)。1シーズンに1回来たら元が取れる計算だ。

 

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まず初めに目に入ってきたのは、パンダの檻をの周りに群がる人間だった。パンダはやはり人気があるらしい。

パンダを単体で見て、「そんなにかわいいか? 世間の評価に騙されていないか?」と思う。お尻の毛だって土で汚れて薄茶色になってる。関西では和歌山みたいな田舎ですら見れるパンダを関東の人間は嬉しがって見ている。でもWWFロゴマークもパンダだし、パンダを可愛いと思うのは世界共通の発想なのかもしれない。

 

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パンダの近くには鳥の展示スペースがあった。タカとトンビは身体の大きさが違うだけで同じ種らしい。

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鳥は脳みそが大きくなくて、餌や光や音に反応して動くので、よくできた自動人形に思える。私は実家で犬を飼っていたんだけど、彼女は賢かった。家族内の人間関係を理解していたし、私たちが彼女にした指示もちゃんとわかっていた。哺乳類は脳みそが大きいので、知性がある。

 

奥へ進むとライオンの展示スペースだ。右側の窓からはライオンが見えなくて、友人に「人の集まっているあの別の窓のところへ行こう」と言われたんだけど、「ライオンをこうやって見に行くことでこれからの人生に何かしらプラスがあんのか?」と軽口を叩いた。

左側の窓を覗き込むと、ライオンが1匹だけ、放育場の真ん中に張り合いの無い顔をして座っていた。ここは外敵の心配がないし(百獣の王なんだからサバンナでも外敵の存在はないか)、餌の心配もないし、日々やることが無くて暇なんだと思う。

奥へ進むと、またかなり広いスペースにゴリラがいた。おっさん座りをして、暇そうに膝に付いた藁指でつまんでは取り除いている。それ以外に何もすることがないのだろう、彼らが閉じ込められている動物園という場所は衣食住が保障された空間なので。

 

私がゴリラのように動物園に入れられて衣食住を保証されたら……、難しい哲学の本とかを読んで日々を過ごすと思う。メガネをかけて、ポニーテールにして、勉強机に座って机の上に積まれた本に挑む。昔の動物園では黒人や原住民を展示していたと聞く。あの人たちはどうやって暇をつぶしていたんだろうか。

というか、そもそもゴリラに「暇」を理解する知性はあるんだろうか。お腹が空いた、腰が痛いなどの不快の概念は、互いに別のものとして理解されているんだろうか。私たちには言葉があるから概念を分けて理解し、操ることができる。でもゴリラは……。

とか友達に話していたら、「ゴリラは喉の構造的に複雑な言葉を発することができないけども、歌を歌うような動物はある程度様々な概念を脳の中で操っているって何かで読んだことがある」と言っていた。 f:id:hidesys:20171007131241j:plain

 

ゴリラの檻を通過すると、広い憩いの場のスペースに出る。歩き疲れたのでベンチに座って少し休憩をする。足元をハトが歩いていた。

ゴリラなんて十分賢いのだから、ジャングルなんて言わずも東京のコンクリートジャングルの中でも生活していけそうな気がする。ハトは都市ならどこの公園へ行っても見ることができる。カラスは完全に都市に適応して野生になっている。ドブネズミだってそうだ(この前新宿ですごく大きいドブネズミが道を走っているのを見た)。インドでは野生の牛が汚い繁華街に住んでいて、ゴミを漁って暮らしている。

 

動物と人間の関係には様々な姿がある。

人間の移住区域外でありのままの姿で生活をする(そかしそれは意図的に設定された自然保護区なのかもしれないが)、農村や都市など人間が人間の為に環境を改変した空間で人間に管理されずに野生として暮らす、人間の経済的利益のために全生活を統制された家畜になる、愛玩の対象としてペットになる、半ば研究・半ば興行のために動物園や水族館で飼われる、医療の発展のために実験動物になる……。

もちろんこれらの関係はスパッと明確に切断される違いがあるのではなく、例えばロシアのシベリアで放牧されているトナカイたちの群れは野生の群れと混じり合っていて個体が行き来していたりする。

 

人間と人間の関係はどうだろうか。

人間は社会的動物というだけあって、社会に包摂されている。動物園のゴリラは衣食住の心配をする必要がないが、私たちは衣食住を得るために半ば強制的に労働に従事させられている。これが資本主義のシステムというものだ。食を得るために労働に従事させられている存在といえば、水族館で芸を仕込まれているイルカもそうである。

 

www.pixiv.netそういえば状態変化界隈でOPQというペンネームで活動している人が居るのだけど、その人の最新のショートストーリーがそんな話だった。寂れた水族館で働いていた女性が、客寄せのために人魚になる手術を受けるように懇願される。人魚になるとエラを付けた関係で言葉を喋れなくなってしまう。最初は従業員たちも自分が元人間であることを認識していてくれるのだが、スタッフが変わっていくなかで引継ぎが上手くされず、いつの間にか自分が人間であったことが忘れ去られてしまう。餌も人間等の定食ではなく生魚になってしまい、イルカと同じように芸を仕込まれてしまう……。といったストーリーだった。性的にすごく興奮した。

この話でもキーになるのは「言語」である。

 

私の住処には少し部屋にスペースが余っている。ここにペットを飼うことができるだろう。中学生の頃は金魚をペットとして飼っていた。でもペットを飼うのなら、犬のようにどうせなら知性があって人間の言葉が分かる方がいい。ハムスターは人間の言葉を理解できない。一番人間に近くて心情もよく理解できるのは人間だ。でも人間を飼ったら食費が大変そうだ。配合飼料でどうにかならないかな? 食べなかったらご飯抜き。動物園のイルカみたいにちゃんとしつければ、人間でも配合飼料で飼うことができるかもしれない。人間の言葉を理解して、セックスのできる猫。

 

芸が仕込まれた人間。ということで、上野動物園を見終わった後は近くの浅草にストリップ劇場を観に行くことにした。イルカと同じで、衣食住の為に芸を仕込まれている。

 

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そうして私たちは上野駅から銀座線に乗り、浅草のロック座に来た。日本一のストリップ劇場らしい。バックダンサーがいたりしてすごいとのこと。大人は1人5000円(カップルだと8000円)だ。

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席数は150席ぐらい。大阪の東洋ショーや京都の東寺よりも広くて大きくて、舞台の段も高かい。

 

今回は「1001 nights」がテーマとのことで、全体的にアラビアンナイト風の劇となっていた。私はアラビアンナイト風の衣装が好きなんだけど、テーマのわりにあんまりそういう衣装は出てこなかったので少し残念。

始めの演出は本当に綺麗だった。影絵みたいな感じで女性が奥手踊りながら脱いでいく姿がスクリーンに映されていて、時折手や足などをスクリーンの隙間からこちらに出して手招きをしたりする。それ以降の踊りは、東洋ショーのものとあまり変わりがなかった。

 

女性が舞台から出てきて花道を通り、舞台真ん中の円形のステージ(ベッドと呼ばれる)に横たわる。ゆっくりと踊りながら衣装を脱いでいく。でも足や胸に巻いたネックレスは外さない。

ストリップを観るといつも思うことがある。こういう性的な裸体というのは、強いライトで照らされていて毛穴が無くてツルツルで、ネックレスで分割線が作られていて、まるでマネキンのようだ。数多の視線が女優を包み込む。数多の期待を込めた視線に照らされた彼女は、自分で自分の性感を高めるようなやり方で肉体をほめたたえる。女性の身体の動きがスピードを落とすほどエロティックになっていく。まるで無重力空間に肌色の性的なオブジェクトがゆっくりと浮かんでいるようだった。ここに現実のセックスは存在しない。

 

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ストリップで踊っているのは20-30代ぐらいの女性だ。顔立ちもSKE48ぐらいからモー娘。ぐらいの感じの人たちで、わりとレベルが高かった。

ストリップを観に来ているのは30代がちらほらで50代~が主要層という感じだった。大阪や京都だと60代とか70代とかの、パソコンが分からなくてエッチな動画を見ることができなさそうなおじいさんが多かったんだけど、東京はまだ活気があって客側の年齢層も若い。

女優と観客の関係だけど、大阪や京都のストリップでは手拍子もしっかりやったり拍手も盛大だったり、衣装にお金をねじ込む時間があったり、ボール(物理)をお客さんと女優で投げ合ったりすることがあったり、あとオープンタイムといって女優と一緒に写真を撮ってもらえる時間もあったりして客と女優の間隔が近いと思う。ロック座は、その舞台や花道の段が関西のストリップに比べて高いことに象徴されているように、あまり近しい感じではなかった。まぁでもこれぐらいがアイドルと客の距離なのかもしれない。関西のストリップの方が幾分地下アイドルに近い。

 

お客さんは何を見にストリップに来ているんだろうか。もしそれが「女性の裸」でしかないのなら、女優側は苦痛だと思う。まるで動物園で檻に入れられた動物を、人間がマジマジと観察する関係のようだ。誰だって私のありのままを客体として切り離した上で消費されるのは気分の良いものではない。なのでストリップはダンスを取り入れることで、演技を見せている私・ダンスを見に来た俺たちといった関係性の幻想を作り出すことにした。観客は女性の裸を見に来ているのではなく、ドキドキやワクワクを楽しむために来ている。

 

衣食住のために芸を強いられているという意味では、イルカも私たちも変わりがない。この前、上司の前で上司の判断を「たしかにこうやった方が○○が△△になって、よいですね」と答えたら、「西柿さん、そんなにサラリーマンしなくていいんだよ」って言われた。

ディズニーのダンボのように、サーカスで訓練される中でプロ意識を持って、スターになるのが正解なんだろうか。ダンボが空を飛べたのは生まれつき耳が大きいという生得的な要素によるものだった。ナルトでも結局 天才であることが大切だと説いていた。ダンボのように耳が大きくない私たちはベッドの上で服を脱いで裸体を見せつけることしかまだ知らない。私たちはセックスできる猫として生きる方が楽なのだろうか。カラスから「この魔法の羽を持っていれば空を飛べる」という暗示を掛けられたところで、飛ぶことができるのだろうか。