ロボットカー/自動運転車社会 消費生活の全面的な合理化・組織化・均質化
2015年5月にKMCでロボットカー/自動運転車社会について話した。
www.slideshare.netこれについてちょっと補足。
消費=資本主義社会
幸福の定義
消費社会において労働は緊張、幸福は緊張の緩和と曖昧に定義されている。この面で運転に注意を払う必要のない自動運転車は消費社会に見合ったサービスを提供するものだ。
現在の自動車社会の問題点
狩猟採集社会が皆の利益のために共同狩猟を行う際、その副作用としての狩猟中の事故死は村で共同葬儀でを行うことで社会でその副作用を社会全体で受け止めていた。これに対して、皆が自動車を使う自動車社会は効率性のために皆で選択したものなのに、その副作用といえる交通事故死については「不注意」とされ、責任を個人に押し付け矮小化してしまっている。これは非常に問題だ。
自動運転車社会が到来すれば、こういった交通事故死に責任を作り出し個人に被せてしまうやり方は解消されるのではないか?
自動運転車社会
合理化・組織化・均質化
資本主義社会は合理化・組織化・均質化の方向へ向かっていく。
- 合理化
- 90%以上の時間ガレージで自動車が眠っている、自動車の個人所有という考えは不合理。
- 組織化
- だったら自動車を市や町で所有して、市バスと同じように道を走らせていればいいのではないか。
- 乗りたい時に呼んで乗れば良い
- 均質化
- 自動車が市に所有されるようになることで、誰でも同じ自動車による移動サービスを享受できるようになる
自動車の意味の変容
これらから自動車の意味が根本的に変わる。
貴族が貴族の格好をして貴族の仕事を行い、庶民は庶民の格好をして庶民の仕事を行っていた中世から、どんな人間でも普段着はユニクロを着るような社会への転換と似たようなものだ。
- 自動車の個人所有の撤廃
- 良い車を持つことはもう社会的ステータスとして機能しない。
- 持つ車で自分のセンスを誇示することももう叶わない。
- 自動車の個人による運転の撤廃
- ミラーだけで縦列駐車するなどの運転技術はもう意味を成さない。
- 趣味・ストレス解消としてのドライブはもうありえない。
- 「夜中に突然なにもかもが嫌になって、 彼氏を起こさないようにそっとベッドから抜け出し深夜に200kmドライブする」ことはできなくなる。
- 本当に生きていると感じられるのは過剰や 余分を消費している時だけだというのに。
つまり、自動運転車社会においては自動車は純粋な移動手段以上の意味も以下の意味も持たなくなる。これこそが合理化による脱臭作用だ。
自動運転車社会が到来すれば、不動産の価値も変わるし医療空白地帯問題も解決する。社会は大きな変革を遂げるだろう。